がんばれわたし

年末のそわそわした感じとか、やり残したことへの後悔とか、なんとなく漂う来年への不安感みたいなのがめちゃくちゃ苦手なんだけど、それでもやっぱり一年を振り返りたくなってしまうんだよね。

ということで禊としてこのブログを書いています。

 

 

今年は恋に敗れ、人生に迷い、人間関係に悩み、壁に頭を打ち付けたくなるような一年だった。自分と向き合う時間は苦しいし、人と向き合う時間は難しい。でも、頑張ってきたことが実を結ぶ瞬間とか、思いがけない楽しい体験とか、好きな人やものに出会う喜びに満ちた一年でもあった。この一年で元々好きだった人やものはもっと好きになったし、新しく出会った好きもたくさんある。好きが溢れる毎日は楽しい。何もないなあと思いながらぼんやり生きていても振り返ると色々ある、ありすぎるくらいあることに気づく。

 

来年は私が好きな私でいるための努力を惜しまない。将来のことを考えると気が狂いそうになるけど、どうせどれを選んでもずっと不安は付きまとうんだと思う。だったら自分が納得できるほうを選ぶことにした。

今まで色んな理由で諦めていたことが多すぎる。本当はあれもこれも全部やりたいし、ほしいものは全部ほしいの。二兎を追う者は一兎をも得ずなんて言うけれど、二兎でも三兎でも追ってやる。置かれた場所で咲くつもりもない。咲く場所は私が決めるんだから。

たくさん勉強して、筋トレして、好きなものを見て聞いて、好きなところに行く。全部諦めないで欲張る。好きな人には好きって伝える。かわいいとかかっこいいとか優しいとか素敵とか、思った時に言葉にする。自分も他人もいいねしまくる最高のギャルになる。きらめきと愛に満ちた毎日にするのよ。

私が行こうとしているのは茨の道かも、修羅の道かも。なんにせよ、我が道を爆走する私を見ててね。

 

閃光ばなし 雑感

閃光ばなしの感想をドン!ドン!ドン!と並べました。※ネタバレあります。

 

・はじめに

福原さん×安田さんの舞台を初めて観た。シリアスでじっくり重みのあるものを想像していたけど、終始軽快でとても楽しかった。しかし観劇後、時間が経つにつれてずっしりと感じるものがあり、これはしばらく引きずることになりそうなので気持ちが熱いうちに言語化しておこうと思う。目が追いついていないところ、台詞が拾いきれていないところなど多々あるし、インタビューも追いきれていないしパンフレットも読んでいないので間違っているところもありそうだけど(パンフ買わなかったことは猛烈に後悔している)あくまでも舞台を観た私の感想、解釈ということで。

 

・舞台のセットめちゃすごかった

幕が上がった瞬間、大きくて緻密なセットに感動した。すごく作り込まれていたし高さと奥行きを感じられるからこそ、最後のクレーンバイクのシーンの浮遊感が際立ったと思う。あと想像の5倍くらいバイクで走り回るシーンが多くてびっくりした。

 

・政子に惚れた

黒木華さんの声がめちゃくちゃ良い。「埋めよう!」「殺しとけばよかったね!」とカラッと言い放つ政子に痺れた。我関せずといったマイペースさ、かと思えば真正面から食ってかかったり勢いと調子の良さで押し切ったり。でもそれだけじゃない聡明さや繊細さ、優しさが見え隠れするところも含めて全部が大好き。私も政子になりたい。

 

・皆ってだれ?

劇中たびたび投げかけられた「皆って誰?」という問い。皆ってたぶんまやかしなんだよね。これは社会がいう"皆"から弾かれた人たちの話であり、まやかしの中にたった二人、自分と妹の存在を見つけた是政の話であり、そのまやかしに日々惑わされている私たちの話だと思う。

私たちはいつも見えない皆に怯えて、顔色を窺って、足並みを揃えて、そのくせ確かに目の前に存在している皆のことは平気で見て見ぬふりをする。存在しない皆をつくって、存在する皆をいなかったことにする、そういう政治、そういう社会、そういう私たち。皆って誰なんだろうね。

 

・ラストシーンの考察など

強烈に印象に残っているラストシーン、あれは結局どういう意味なのか。ともに観劇したマブ安田担との感想会を経ての私の答えをまとまらないなりに書き留めておく。

素直に台詞を拾うと、二人の乗っていたバイクは壊れなかった、二人は生きていてこの先も生きていく、と解釈できる。そして政子が"誰か"に向けて踊るのは、"皆"から弾かれた人たちや、客席に座る私たちへの鼓舞や救いというふうにも受け取れる。実際観終わった直後はそう思っていたし。

でも考えれば考えるほどあの不思議な空気感とリアリティのなさが引っかかる。バイクが壊れないわけないし、二人が生き延びたとはどうしても思えない。衝撃音が聞こえて、白バイの人が倒れている、そして暗転する。あのシーンで二人の物語は終わっているのではないか。3人で踊るあのシーンが政子の夢なのか、それとも死後の世界なのかはわからないけど、とにかくあのラストは現実ではないと思った。そしてあの踊りはもうこの世にはいない是政に向けたものだったのかなと。(確か「政子の踊りはご先祖様が帰ってくる」みたいな台詞があったし、踊り自体も盆踊りっぽいので。)

政子と踊った二人が電柱守と売春婦だったという点も、あの現実味のない空気を助長している。二人は、あのどん詰まりの住民の中でも一際マイノリティ、身寄りがない存在として描かれているように感じた。特に電柱守は存在そのものが不思議だ。エレンという名前は明かされていたけど。(エレンは男性名にも女性名にもあって、トルコ語では聖人という意味もあるらしい。)電柱守とかいう謎のポジションで基本的に傍観者。でもなんだか政子の味方っぽい。外国人?ホームレス?ペット?(犬とか猫とか)電柱の妖精?地縛霊?政子のイマジナリーフレンド?など色々な説を考えた。怪談にありがちな、思い出話をしている時の「え、あいつ誰だっけ」「そんな奴いた?」「いたよ、あんたも喋ってたじゃん」「そうだっけ」「待ってあの日って何人いたっけ」「え、ひとり多くない…?え……誰…?」ってやつ。そういう不安定な存在のように思えたんだけど皆さんはどうですか?(どうですか?)あなたのラストシーン考察、電柱守考察、ぜひ聞かせてください……。

あと是政と政子の関係性も気になっていて、二人は紛うことなき兄妹ではあるけど、是政の政子に対する態度にはただのシスコンでは説明しきれない違和感があった。俺の妹だ、俺が守らなきゃという気持ちが強すぎるあまり自分と妹の境界線がわからなくなっているのが私が勝手に抱いているシスコンのイメージ。もちろん是政にもそういう部分は見受けられた。でもなんというか、腫れ物に触るとはまた違うけど、誰より近くてでもちょっと遠いような、政子に対して神聖さのようなものを感じているのかなと思ったり思わなかったり…。是政が政子に「(私の言うこと)否定してもいいんだよ」といったようなことを言われるシーンがあったけど(あったよね?)あれは是政の人柄を象徴していて印象的だった。この辺りのことも語り合いたいので観た方はぜひ……。

それにしても全体を通して受け取り方や解釈の分かれるシーンが多くて本当に面白かったしあと3回くらい観たいよ……。

 

・おわりに

自分自身の生き方を問われているような気持ちになる台詞も多く、最初から最後まで夢中で観た。"どん詰まり"とか私の人生かよ、と思ったりした。

明日からは心の中に是政と政子を住まわせて、「愛してやるよ」の心意気と「埋めよう!」の精神で強く生きていこう。

 

 

エイトレンジャーに呼び起こされた沼落ち前の記憶

夏の18祭まじ楽しかったよね。雨で湿度高くてでも風が気持ちよかった日産で、ERを聴きながらふと頭に浮かんだことをダラダラと書いてみようかなと。

 

小学生か中学生かそれくらいの頃。まだオタクでもなんでもなく、どちらかというとアイドル全般に抵抗があった頃。

どこに行っても関ジャニ∞の曲が流れていて、意識して聴いていなくても知っている曲がいくつもあった。学校に行けばクラスにはエイターがたくさんいて「関ジャニだったら誰が好き?」みたいな話題が頻繁に上がっていたし、体育祭ではキング オブ 男!を踊った。家でテレビを見ていたら、関ジャニ∞がカラオケしたり、太鼓叩いたり、ドッジボールしたりしていた。関ジャニ∞はとにかくそこらじゅうにいた。アイドルを意識的に避けていた捻くれ者の私の生活にもなぜか自然に溶け込んでいた。

ERを聴いてそんなことを思い出したのは、映画エイトレンジャーの公開当時、よく知らないなりになんかこの人たち最近めちゃくちゃよく見るなと思っていたからだと思う。

 

数年後、私は彼らと正式に出会い(俗に言う沼落ちである)その後今に至るまで人生を共にしているわけだけど、彼らは今もそこらじゅうにいる。当時と今とでは、彼らも変わったし私も変わったけれど、ずっと変わらずそこらじゅうにいる。個人としてもグループとしても目覚ましい活躍ぶりであることは言うまでもない。18周年を祝う祭りで、彼らが随分長いこと最前線を走り続けているという事実を実感した。変化も進化もありながら、それでも変わらずそこに在り続けている彼らはすごい、凄まじい。そして、いつもありがとうね…としみじみ思った。

新規は古参と比べたらどうしたってリアルタイムな思い出は少ない。悲観こそしていないが、もっと早く出会いたかったと思ったことはない、と言ったら嘘になる。

でも、私には私なりの彼らとの思い出があるし、きっとオタクの数だけ"私と推しの思い出"がある。

 

 

 

 

 

 

どうでもいい追伸

小学生とか中学生の時って「〇〇の中だったら誰が一番好き?」は結構ありがちな話題だったと思うんだけど(少なくとも私の地元はそうだった。)この頃から既に私は「関ジャニだったら大倉くんが好きー」と答えていた。前述通り当時はオタクでもなく、何ならメンバーの顔と名前が一致しているかも怪しかったのになぜか"私は大倉くんが好き"と当たり前のように思っていたし、沼落ちしてから今もずっと自担は大倉くん。だからたぶん私は生まれた時から大倉担なのよ、なんかもう最初から決まってたのよ。

ステージの上が一番似合う人よ

 

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンを見てきたのでラブが爆発している。

初めて彼を認識した日から早3年。ついに私はこの目で見た。この世に彼が存在することをこの目で確かめてきた。私が愛するその人は、かっこよくてかわいくて歌が上手くて踊りが上手くてステージの上がよく似合う人だった。世界で一番の男だった。そんな世界で一番の男を好きな私は世界で一番幸せな女だ、間違いない。

可愛らしい表情やコミカルな仕草から感じる少年らしさや不安定さ、濃やかな踊りや力強い歌声から滲む聡明さやたくましさ、その一つ一つが彼とフランクをシームレスに繋いでいた。他のキャストさんとのアイコンタクトやちょっとした手の仕草、洗練された身のこなしに目を奪われ、心奪われ、ずっと夢の中にいるようだった。もしかしたら本当に全部夢だったのかもしれない。

初めて好きな人に会えた喜びと、目の前にいたのは私が知っている彼だったという感動で胸がいっぱいになった。今まで画面越しに追いかけてきたその人は嘘でも偽物でもなかった、全部本当だったんだ。それがすごく嬉しかった。出会えてよかったと心の底から思う。観劇後、外に出て真っ先に湧き上がったのは「幸せだ…」というなんの捻りもない、しかしこれ以上ない感情だった。日々生きている中でただただ幸せを噛み締めることができる瞬間があることを更に幸せに思った。明日からまたいつも通りの生活が続いて、憂鬱なこともたくさんあって。だけど、彼は確かにいるんだというその事実だけで私はこの先も生きていける。

ステージの上が一番似合う人よ。どうか健やかでいてね。そしてこれからもたくさん素敵な世界を作ってほしい、あなたが作る世界をずっとずっと見ていたいよ。

 

「Snow Man ASIA TOUR 2D.2D.」感想(再掲)

感想文というか私の思想語りです。前のアカウントを消してしまったのかどうしたのか忘れたけどとりあえず再掲。

 

 


ほんとうにとってもとってもかっこよかった。もうね、とにかくたくさんのありがとうと大好きを伝えたい、伝わってほしい、めちゃくちゃ楽しかったよ!!!!!!!!!!

パフォーマンスもセトリも衣装も演出も何もかも最高だったし、画面越しとは思えないくらいの熱量で9公演やり切った彼らはプロフェッショナルだった。4日間9公演でそのうち1日3公演の日が2日あったんだけど冷静に考えると割と意味わかんない。それなのに毎回最高品質のパフォーマンスをフルスロットルでお届けするSnow Man全員化け物???特殊な訓練受けてるってあながち間違いじゃないよね。

 


予定通り開催されてたら私は行けなかったから、配信になったおかげでいっぱい見れたのは嬉しいけど。

それでも、私は見れなかったとしても、こんな世の中じゃなかったら彼らが寂しい思いをすることはなかったと思うと悔しくてたまらなくて、初日はこんな切ないデビューコンサートがあってたまるかってめちゃくちゃ泣いた。一生に一度、最初で最後のデビューコンサート、今無理してやらなくてもいいんじゃない?と思ってた。

だけど全公演終わってから時間も経った今は、デビューした今年のうちにできてよかったなと思えるようになった。なぜなら彼らはとっくに前を向いていて、この瞬間のために何年も頑張ってきたと言いながらも既にずっと先を見据えているから。ライブ後に私が一番好きな彼がブログで、「生まれ変わった感じがしました」と言っていた。デビューコンサートは彼らが生まれ変わって新たなステージに進むために必要なことだったんだと思う。

 


最後の挨拶は毎公演オーラスか?ってくらい皆気持ちがこもっていたし、こちらも毎回泣かされたけど、その中でも2日目夜公演が印象に残ってる。この公演だけはなんだかとても動揺してしまって泣かなかったし、なんかあったんかな?って心配になったし(結局何もなかった)終わったあとも一人でバカデカ感情を拗らせて大変だった。なんというか、気持ちがこぼれた瞬間を見たんだと思う。実際この公演をきっかけに以降の公演は堰を切ったように皆それぞれの気持ちを吐き出していたし。今まで言えなかったこと、言いたかったこと、いっぱいあったよね。どんな気持ちで言ったかは本人にしかわからないけど、それでもなんとなく、わかってるから大丈夫だよって思ったんだよね……わたしゃこの人を守るために強くなると心に決めたよ……。

 


ライブを見終わって、とりあえずいつか彼らに会うために絶対生きてなきゃと思ったし、漠然と私も頑張りたいな〜という気持ちになった。エンタメは不要不急と言われて真っ先に後回しにされるような世の中だけど、エンタメに救われる命は絶対にあるよ。なんかこんな世の中で何のために生きてるかわかんねえな〜って時に、もうちょっと生きてようって思わせてくれる約束をくれるんだよね。これって絶対に不要不急なんかじゃないでしょ。

 


これからはお楽しみばかりよ、もう絶対にそう、そうに決まってる。

いつかファンが振るペンライトがキラキラと広がるドームで生きて会おうね。笑った顔も泣いた顔も全部見せてあげたい。ありがとうって大好きだよって叫びたい。

だからどうか健やかに生きていてね。

 


Snow Manデビューおめでとう。

アイドルに背中押される人生

 

 

好きな人に振られた、卒論は手付かずのまま、卒業後の予定は未定、万年金欠、殺人的な猛暑、クソみたいな世の中、踏んだり蹴ったりな毎日。

これはそんなタイミングで見た関ジャム(7/3放送回)に触発されて勢いだけで書いた超自分語りである。

 

 

 

岩本照さんが関ジャムに出た。この世で一番好きな番組に好きな人がクリエイター側のゲストとして出ていた。岩本照さんの振付がテレビという場で大々的に評価され、本人が作品の解説やら振付の考え方やら何から何まで話している、しかもそれを関ジャニ∞の前で。勝手に誇らしい気持ちになった。町内を駆け巡って大声で「皆見てくれ!!!!!」と叫びたいほど嬉しかった。いまだに夢かと思うくらい嬉しい。

私は岩本照さんがとにかく好き。好きなところを挙げたらキリがないが、私が彼に抱いている感情は大きく分けると二つある。一つはオタクとしてアイドルの彼を愛おしく思う気持ち。もう一つはものづくりを志す人間として表現者の彼に憧れ尊敬する気持ち。今は主に後者の気持ちが猛烈に湧き上がっている。(もちろん"ワイプに映ってる顔がいちいち可愛いな"とかそういう前者の気持ちもいつも通りあるが。)

 

唐突だが私は絵を描くのが好きだ。今はただの趣味だがこの先の人生ずっと絵を描いて生きていきたいという思いがある。(超余談だがこれが卒業後の進路が決まらない原因でもある。)

そんな私にとってジャンルは違えど彼は憧れの存在であることに今日改めて気づいた。彼の生み出す作品、パフォーマンス、そこに至るまでの思考や発想、垣間見える美学と信念、そして夢を叶えていく姿、その全てがものづくりを志す私にとって眩しく、尊く、心強い。

ただの大学生の私が、才能があるわけでもなくただただ好きなことにしがみついているだけの私が、天下のアイドルに憧れるなんておこがましいにも程がある。だけど、"天才"や"センスがある"の一言だけでは済ませられない彼の唯一無二のきらめきに私はどうしようもなく魅了され、私もそちら側の人間でありたいと思ってしまう。アイドルに勝手に背中押されて夢追いかける人生があったっていいじゃないかと思ってしまうのだ。

新卒のカードを無駄にしない方がいいよ、まず安定した職についてお金が貯まったら好きなことをやればいいよと耳にタコができるほど聞かされている。実際その通りだと思うしずっと心は揺れているけど、ふとした時にやっぱり私は諦められないんだと痛感する。一生追いつけない遠い遠いところにいる彼を、表現者の端くれとしてずっと追いかけ続けたいのだ。

 

馬鹿みたいって言う誰かがいるかもしれないけど、大真面目にこんなことを思っている。私は私の人生を頑張りたいな、と思わせてくれるようなアイドルに、岩本照さんに出会えたことが嬉しい。しんどいとき、迷ったとき、勇気が出ないとき、これからも何度だってあなたのきらめきに救われ背中押されるのだと思う。

 

勢いで書いたから終わり方がわからないけどなんだか自己満ラブレターになってしまったのでこの辺で。